ALTOスペシャルサイト > 「かしこく、ステキ。」な入門講座 > 梅沢由香里流 囲碁講座 > 第2回 囲碁の歴史

囲碁の歴史は非常に古く、発祥は3000年から4000年前と言われています。
インドで生まれたという説と中国で生まれたという説がありますが、中国で広く信じられている説は、先史時代の伝説の王、堯帝(ぎょうてい)がやんちゃで落ち着きのなかった息子の丹朱(たんじゅ)を落ち着かせるために、囲碁を考えたという説です(丹朱は、囲碁に夢中になりすっかり落ち着いたそうです。現代でも一緒ですね。私が子供のころ、落ち着きがないから囲碁を始めたという子がよくいました)。
また、堯帝が陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)を確立した人であることから、天文を見る道具として碁盤と碁石を作った、その他占いとして使われていた、などという説もあります。確かに、碁盤の打つ場所は361ヵ所、中央の点を現代でも「天元」と呼ぶこと、そして黒と白というまさに陰と陽であることなどから、この言われも納得できる部分もあります。
それが次第に、盤上遊戯として貴族・軍人の楽しみへと広がり、中国の唐の時代になると貴族階級の教養とされる4つの芸「琴棋書画(きんきしょが)」(音楽、囲碁、書、絵)の一つといわれるほどの存在になりました。
玄宗皇帝や楊貴妃も囲碁が好きだったそうです。玄宗皇帝が外国の使者と対局している際、形勢が悪いのを感じた楊貴妃が抱いていた猫を碁盤の上に放し、対局を続行できなくして玄宗皇帝を敗戦から救った、というエピソードもあります。
日本に伝わったのは漢字や仏教が伝わった6世紀頃。その後、中国学芸を吸収した知識層に囲碁は急速に広まりました。東大寺の正倉院にはとても美しい碁盤と碁石が残っています。
平安時代になると宮廷内でも盛んになり、唐の時代と同じように「琴棋書画」の4つが宮中においても文化人のたしなみとされるようになりました。皆様よくご存知の『源氏物語』や『枕草子』の中にも囲碁の話がところどころにみられます。
そして律令体制の終焉とともに、囲碁を楽しむ人々は、貴族階級から僧や武将に移っていきます。室町時代も囲碁は盛んでした。足利尊氏はじめ、武将たちは日常のみならず、戦陣にあっても囲碁を打ったそうです。このころから、囲碁を職業とする人々が現れます。
囲碁を職業とする人々を、プロとして身分を保障したのが徳川家康です。
家康自身は40歳を過ぎてから囲碁を始め、たちまち夢中になり、駿府に移り住んでからも囲碁三昧の日々を過ごしたと伝えられています。家康は家元制を発足し、将軍の前でトップを争う対局(御前試合と言った)をさせ、ナンバーワンになった人を「碁所(ごどころ)」として棋士の身分を保障しました。つまり、家康は今風にいえば囲碁を国技としたわけです。
最初に碁所となったのは「日海(にっかい)」と呼ばれたお坊さんで、囲碁を楽しんだといわれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、3人の武将に重んじられました。日海は碁所となった際に「算砂(さんさ)」と名前を改名し、当事住んでいたお寺にある塔頭(たっちゅう)の名前が「本因坊(ほんいんぼう)」だったので「本因坊算砂」と呼ばれました。
この本因坊という名は、このあと「棋聖」や「名人」と並ぶタイトル名として、現在に受け継がれています。また、碁所についた人を、「3世本因坊○○、4世本因坊○○」と呼ぶようになりました。
江戸時代の囲碁文化の発展は目覚ましく、徳川家康が作った互いに芸を競うこの体制は、囲碁界にすばらしい棋士を輩出しました。「本因坊道策(どうさく)、丈和(じょうわ)、秀策(しゅうさく)」などは、現在も多くのプロ棋士たちから尊敬されています。
ちなみに数年前まで連載されていた「ヒカルの碁」というマンガに登場する本因坊秀策は実在した人物で、歴史上最も強かった人物といわれています。
そして数百年後、幕府が崩壊したことにより、家元制は廃止され、様々な過程を経て大正13年、現在に至る日本棋院が設立されました。第二次大戦後、囲碁は世界的規模で親しまれるゲームになり、現在では60カ国以上の人々が囲碁を楽しんでおります。
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